枚岡神社秋郷祭

  • 2008/10/16(木) 15:19:34

 14、15日の2日間、中河内随一の規模を誇る枚岡神社秋郷祭が行われました。14日は雨に降られ人出も少なめでしたが、15日は晴天に恵まれ絶好のコンディションとなり、各町から枚岡神社へ大太鼓台、小太鼓台20数台を枚岡神社へ奉納しました。

 私の地域の四条は大太鼓が朝8時半に大池公園を出発し、青年団若中のメンバーが地域のなかを担いで歩き、私は四条大太鼓保存会の一員として地域の中で花集めを担当しました。
 枚岡駅の急坂の踏み切りで、待機する四条大太鼓台
 枚岡駅の手前の踏切の急坂を登り切り、四条地区の太鼓台は各町の最後に夕方5時ごろから約5万人の人出の中(2日間で10万人の人出があるといわれています)、四条大太鼓に続いて棚林、東小路、末広、瓢箪山の小太鼓が枚岡神社へ宮入を済ませました。参道は人の波であふれ、事故のないのが不思議なくらい太鼓台が左右にゆれながら参道を往復し、太鼓台を奉納しました。

人でごったがえす枚岡神社参道  夜はさらに倍の人でにぎわい、その間を太鼓台がなかがきします。 東小路の小太鼓台は中学生から高校生、二十才前後の若い人たちがかつぎ、それを大人の人たちが手助けをしてねり歩くのですが、大人たちの担ぎ手の人数が少ないということで、私も急きょ応援をすることになりました。
 夜の9時半ごろから中がきが始まり、神社の参道を3往復ほどして鳥居から出るのですが、若いときに「祭り人間」でなかった私は、生まれて初めて枚岡神社の中で太鼓台を担ぐことになり、少しの不安をうちに秘めながら太鼓台の真下のところに肩を入れて、参道を往復しました。肩に太鼓台の重みがずしっとかかり、汗が吹き出し肩にくいこんだ重みと痛みに耐えていましたが、徐々に足腰にもこたえてきました。まわりの若い人たちも必死に重みに耐えているなかで、私も変わってほしいという思いを我慢し、鳥居の外に太鼓台を担ぎ出し太鼓台が着地しました。肩への負担は強烈でしたが、担ぎ終わると周りとの一体感がたまらなく、この心地よさが多くの人を祭りの虜にさせるのかな、と思いました。
 
 四條の大太鼓台はこの地域では最も古い太鼓台で、諸説はありますが160年の歴史があるといわれています。160年の間変わることなく、祭りを伝える人たちによって祭りの前に組み立てされ、祭りの時に担いで奉納し、それが終わると解体して太鼓小屋に収納され・・・・・ということが綿々と繰り返されてきました。祭りのたびに、太鼓台を担ぐたびに地域の人は心をつなぎ合わせ、そういったことの繰り返しの中で地域のコミュニティは強固なものになっていったことだと思います。祭りが地域の中で果たす役割というものは、理屈ではなくたいへん大きな力になってきたことだと思います。
 地域に住む人たちによって、古くから伝わるものを大切に継承し、育てていくことは、行政や政治に携わるものにとっては大切にし、それをまちづくりの中に取り込んでいく努力をしていかなければならないと考えています。そこに住む人たちが本気になれる「祭り」は、必ずや地域のまちづくりの大きな力になることでしょう。


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体育の日 市民スポーツ祭典

  • 2008/10/13(月) 23:05:52

 たまたま古い市政たよりを整理していて、体育の日に花園中央公園多目的球技広場(トライスタジアム)で市民陸上競技大会が開かれることを知り、どんな様子か見せていただきました。

 トライスタジアムのトラックに整列した参加者。芝生の養生のため残念ながらフィールドに入れず・・・
 きょうはお天気も最高で絶好のコンディションで中学生、高校生を中心に1300名ほどの参加があり、トライスタジアムはにぎわっていました。ラグビーやサッカーを中心とした多目的の球技広場ですが、陸上競技でも第3種公認を取っており、今日の記録は公式記録として認められるので、市民スポーツ祭典として社会体育に位置づけられるものの、中学・高校のの陸上部の参加がメインで出場の選手は真剣に競技に取り組んでいました。


中学女子400メートルリレーのワンツーフィニッシュ
 青少年スポーツ室の職員の人にお話をうかがうと、社会体育として一般の人だけを募集するとこんなに多くの人が集まることはなく、市の事業として東大阪市体育連盟に委託し、この大会も東大阪市陸上競技連盟が主管をしているということで、中高生の参加が多くなっているということでした。中学生のクラブ活動の中央大会の雰囲気を持ったとしてもそれ自体として悪いことではなく、高校の参加も大阪を代表する東大阪大学敬愛高校や近大附属高校の参加をはじめとしてレベルの高い選手が出場しているので、中学生にも大いに刺激になり東大阪の競技レベルの向上にも貢献している、と感じました。

 最後まで見ていないので確かな様子がわからないのですが一般の参加、とりわけシニアの参加が少なそうだったのですが、記録会の様相を呈している市民スポーツ祭典に、生涯スポーツの一環で楽しんで走っている人の参加ももっとあっていいのではないかな、と思いました。
 来年は私も100メートルを走ってみようかな・・・・!!


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幼稚園と保育園の運動会を見て

  • 2008/10/12(日) 21:32:13

 運動会のお招きを受けていた幼稚園、保育園のうち2園が11日(土)に予定されていましたが、雨天のため12日(日)に順延され、きょうは公立幼稚園、私立幼稚園、私立保育園と3園の運動会を同日に見せていただく機会にめぐまれ、それぞれの様子の違いを肌で感じることができました。

 縄手幼稚園(市立)は2年保育でクラス数も全園で4クラスしかなく、そんなに広くない園庭で少人数で行なわれ、ひとりひとりの園児や保護者の顔もよくわかり、とても家族的な雰囲気でした。プログラムも一部一部が園やPTAの人たちで手づくりで、とても好感がもたれました。縄手幼稚園は昨年度園庭の一部を芝生化し、今年もその上で園児たちは演技をしたりかけっこをしていました。肌に当たる感触は確かにいいでしょうが、芝生にした後の維持管理がたいへんだろうなと思いました。園長先生は、芝生だと競技によってラインを引き換えることができず、運動会のときにはちょっと使いづらいとおっしゃっていました。
 
 恵徳幼稚園(私立)は私のこども3人ともお世話になった幼稚園で、当時と同じく公園を借りての運動会で盛大に行なわれていました。機材もすべて運び込まなければならず、仮設トイレも必要になり、準備や後片付けがたいへんで、幼稚園スタッフやPTAのひとのご苦労がしのばれます。今年は自転車の駐輪場にも工夫をしておられ、自転車がすっきりしていたのは印象的でした。PTAの人はおそろいのTシャツを着て世話をされており、決して派手さはないのですが私立幼稚園らしい華やかさがあったと思います。この地域で恵徳幼稚園が人気のあるのも何となくわかるような気がします。

白鳩保育園のマーチングバンド 白鳩保育園(私立)は数年前に園舎を新築されただけではなく、高齢者のデイサービスを併設されたり、学童保育や病後保育にも意欲的に取り組まれ、また障害児の受け入れにも積極的で、私はつねづねその保育理念に共感を覚えています。4、5才児が全員参加するマーチングバンドはユニフォームもおそろいで、園児も一生懸命で見ていても心をうたれ、周りの人たちもそのできばえをほめていました。このマーチングバンドは地域の行事にも積極的に参加をされ、この保育園の存在がしっかりと地域に根付いていて、地域の中でもたいへん人気の高い保育園です。

 人気の恵徳幼稚園は来年度の新入園児の募集に対して、申し込み多数で抽選が必要でしたが、市立幼稚園は特に東地区では定員割れをしました。保育園では東地区で待機児童が多いのと対照的です。幼稚園は3才児からの預かりで保育時間が短く働くお母さんには使い勝手が悪く需要も減少気味ですが、それにくらべて働くお母さんが増加するとともに保育園の需要が増えています。

 幼稚園は「学校法人」を取得しなければならず文部科学省の管轄で、市でも教育委員会が所管をしていますが、それに対し保育園は「社会福祉法人」が要件で厚生労働省の管轄で、市では福祉部が所管です。制度がかわると考え方もかわり、たて割りの行政の弊害も出てきます。
 同じ就学前の子どもたちを対象にするのですから、家庭教育を基本にしながら行政が子育て支援にどう関わっていくか、地域との関わりをどう考えるか、といった見地から総合的な施策が必要になってくると思います。「幼保一元化」の流れはまさしくそういうものでしょうし、保育及び教育を一体的に提供し、地域における子育て支援を実施する機能を備えるものとして「認定こども園」制度も2007年からスタートしています。これからの大きな流れとして注目したいと思います。


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合田 悟牧師逝く

  • 2008/10/07(火) 19:07:25

 東大阪総合病院に大腸ガンのため入院されていた合田 悟牧師が5日早朝になくなられ、布施の葬儀会館で6日前夜式が執り行なわれ、きょう(7日)告別式が行なわれて両日とも500人を超える弔問の人であふれました。
 私は4日(土)夕方にお見舞いにお伺いしたのですが、集中治療室に移されていてお会いすることができず、そのあと10時間ぐらい後に亡くなられたのでした。享年76才、5月に喜寿を祝われたあとの死去でした。

 合田牧師は昭和30年から牧師として活動をされ、布教活動と同時に草の根の市民運動を50年にわたり地道にされてきました。とりわけ在日外国人の人権の問題に力を尽くされ、1万9千人ほどの在日外国人が在住する東大阪にとってはなくてはならない人でした。東大阪市における多文化共生を政策の上で実現することに大きな力があり、今年で13回を数える東大阪国際交流フェスティバルの生みの親の一人でもありました。

 式典はキリスト教に則り、厳粛な雰囲気で行なわれました。遺族代表の長男創(はじめ)氏は、合田牧師は我々にふたつのことを残してくれた「そのひとつは常に弱いもののそばにいてその立場にあれ、もうひとつは権力や専制と闘うこと」であったとご挨拶され、司式者の牧師は「戦いのさなかに倒れた勇者のバトンを、きょう参列の人たちが受け継いでくれるでしょう」と述べられました。合田牧師の活動は多くの人の精神的支柱であっただけに、会場は深い悲しみに包まれていました。

 彼の蒔いた「多文化共生」の芽は、これからも大切に育てのばしていかなければならない、と思っています。

 ご冥福をお祈りいたします。


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東大阪市民会議に参加して

  • 2008/10/05(日) 23:15:50

 きょう(5日)東大阪市民会館大会議室で東大阪市民会議が行なわれ、はじめて参加させていただきました。

 市民会議は昭和50年からはじまり今年で32回をかぞえますが、市対市民という公聴会的なものではなく市民主導型で市民同士が意見を出し合う中で意見を集約し、それを行政に反映させると同時に市民運動に高めていこうというもので、話には聞いていましたが実際に参加したことはなく、どんな雰囲気でどんな議論がなされているのかたいへん興味がありました。

 午後1時から全体会議がおこなわれ、そのあと三つの分科会に分かれて会議が行なわれたのですが、自分自身のトラブルで遅刻し分科会から参加させていただいたのですが、全体会議の雰囲気や議論を見ることができずに残念でした。

第三分科会の会場風景 私は第三分科会「もう一回食料自給と食の安全を考える」に参加したのですが、100人近い人が詰めかけみなさん熱心に議論されていました。第一分科会「もう一度防災と地域の安全を考える」、第二分科会「もう一度交通マナーと安全を考える」もこのような感じであれば、全体として300人前後の市民が参加されていることになり、行政としてもこれらの意見や議論は行政にフィードバックする価値はあるのではないでしょうか。

 私はかねてから東大阪の農業が規模が小さいけれど、小さいなりに東大阪独自の農業政策を確立すべきではないか、という考えを持っていますので、きょうの分科会はひじょうに楽しみにしていました。参加者の中からも東大阪で作ったものを東大阪で消費する(地産地消)ということだけではなく、自分でつくったものを自分で食する(自産自消)という人がふえてきている、という中で休耕地をそのまま遊ばせるだけでなく、それを市民が使えるようなことを考えていってほしいという意見が出ていました。
 専業農家が減り、従事する人の高齢化や後継者の問題があるなかで、農業従事者の支援を考えることと同時に、農地を守るという考えのもと、従事する人がなく休耕地となるのであれば、市民農園や福祉農園、学校の体験農業などの需要と行政がマッチングさせることも、東大阪なりの独自の農業政策になるのではないか、と感じました。

 それにしてもこのような市民会議のなかで出てくる意見を形にして行政に反映していくということは、上からのお仕着せのトップダウンの政治ではなく、まさしくボトムアップ型の政治になるのではないかと思いますし、こうした手法を少しでも取り入れていく努力がこれからますます必要になるのではないか、と思います。


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